高齢化社会の老人の性   

昨日、1年ぶりくらいに父の恋人に会いに行きました。
恋人だった人と表現した方が良いのかも。

ずっと気になりながら、施設への訪問ができなかったのです。
電話でお元気か尋ねたのですが、個人情報は電話では伝えられないそうです。
なら、と会いに行きました。
部屋で腰が痛いと寝ているとスタッフの方に言われましたが、名前を聞いて面会を承諾してくれました。
部屋に入ると、写真館で写した、父と彼女の微笑ましい写真が飾ってあります。
以前と同じ場所に。

久しぶりの再会に、ふたりで手を取り合って泣きました。

私には、複雑な思いの彼女の存在です。

母が亡くなって一年後ぐらいには付き合っていました。社交ダンス倶楽部で以前から知り合いだったのです。
その時は、ショックでした。
でも、時間の経過と共に、娘では埋めるることの出来ない父の男性としての寂しさを、癒してくれる女性だと、素直に思えるようになりました。

父が67才、彼女が60才の時の話です。
それから、父が亡くなるまで交際は静かに続いていました。17年間。
色々な事はありましたが・・・。

昨日久々に彼女に会い、思いました。

親戚でも、家族でもないけれど、人が人として生きる為に元気をもらえる異性の力は、大きかったはず。
今は、彼女は至れり尽くせりの施設暮らし。子供さんはいません。
帰り際に、「お父さんは優しい人だった。また会いに来て。」
と、手を強く握りしめてしばらく離してくれませんでした。

家に帰って、本棚から取り出した一枚の新聞の切り抜き。
f0031420_8422015.jpg

当時、共感して思わず切り抜きました。
私も、いずれこんな老人になるのではないかと思い、家族にも理解してもらいたい思いが重なったのです。父のことも含めて。


書かせてもらいます。
1998年10月7日水曜日 熊本日日新聞  「意見異見」

松下明美さん(当時医療法人悠紀会総婦長) 
「老人の性」

ある日、半年も風呂に入っていないという八十二歳の女性が入院してこられました。脳出血後遺症、寝たきり、おむつ着用、汚れた衣服と体臭、目だけがギョロギョロとしていて、ぼさぼさの髪。
ケアに対しても反抗的で、対応が難しい人でした。

しかし突然、自分の方から「おふろに入る」と言われ、一ヶ月の間にベットの周辺をつたい歩くことが出来るようになられたのです。

その後、買い物カーを押して病棟内の散歩が始まり、みるみる小奇麗になられました・

彼女をここまで変えたのは、何だったのでしょうか。
我々の看護、介護の力とは思えません。
まだ何も取り組んでいなかったのです。

それは、百歳のある男性への思いでした。
彼は、かくしゃくとした態度で歩行器につかまり、病棟内を散歩しておられました。
その姿を見た時、彼女は一緒に歩きたいと思い、その思いが彼女を変え、自立に向けたと思われます。

他人を思う心は、素晴らしいものです。
心が生き生きと元気になると、体も元気になるようです。

それから、しばらく病棟の中でいつも彼の後ろからくっついて歩く彼女の姿がありました。
にこやかで、いい表情で、入院の時とは格段の違いです。


しかし、彼が退院をし病棟から彼の姿が消えた日、彼女は脳出血の再発作をおこし、帰らぬ人となりました。

考えてみると、彼の姿が見えなくなったその日、彼女はきっとつらく、淋しくなったのでしょう。

彼女にとって彼は「生きる」ことの支えであり、「生きる」そのものだったに違いありません。

阿部初江先生の「うすづく刻(とき)」の著書に次のような一節があります。

「性は水のように人間生活のわずかな隙間さえ縫って様々な具象に根深く関わり影響し、老いてなおかくも、その残像は消え果てる様子が無いものを見せつける。
その生ぐささを、もし頭から嫌悪するなら、私たちは気づかずして「生きること」を否定していることになるかもしれない。」


年をとり、体が不自由であっても、人を思いやるといった心は、若い時とひとつも変わることはないでしょう。
われわれが勝手に、「いい年をして」と険悪の目で見ているのではないでしょうか。

老人のごく自然なそのままの思いを、どれだけ知ることができ、温かく、そっと見守ることができるかでしょう。
[PR]

by k2kikiya | 2015-07-28 09:33 | ひと | Comments(0)

<< 7月は満月の日が2回 ふろの日 >>