あきらめる共育   

先日、孫の小学校で運動会がありました。
曇り空、
本当は紫外線は強いのかもしれませんが、観覧席に座っている者は助かりました。
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孫は一年生。今まで、保育園で年長さん。
可愛いよちよち歩きの赤ちゃんのお世話もしていた孫が、今度は体格の良い6年生とも一緒に行動する。
頼れるようで、怖い存在かもしれません。
この小学校は、軽度の障害を持った児童も同じクラスで学んでいます。

私達が小学校の頃は、差別やいじめの対象になったかもしれない子供達も一緒に学びます。

落ち着きがない。
記憶力がない。
体型がおかしい。
表情がおかしい。
といった「違う」を認めることから始まる共育。

今は、ちゃんと病名、症状が、把握、認められる時代です。
それは、弱者をサポートすることが出来るということです。

いじめの対象ではなく、「明らかに病気や障害者である」と認めて関わることが出来る。

とても大切で、重要なこと。

みんな同じではありません。

明らかに違いを受け止めて、認め、支え合う、共に学ぶ。

「あきらめる共育」

言葉としては、素晴らしいことです。

現実は、先生も生徒も、本人も大変かもしれません。
そして、親たちも。

でも、生きていかなければなりません。
この世に生を受けた以上、生きる権利と努力は各人に必要。

新一年生から、それを学んでいる孫が、おおらかに明るく、楽しく、違いを認め多くのことを学び成長してくれることを、祈っています。
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by k2kikiya | 2015-05-27 07:06 | ひと

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